自主映画や小劇場を中心に活動する俳優・外山弥生の記録です。
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21歳の夏は一度しかない。
躁で自殺未遂して強制入院させられたあたしは、
うつの「なごやん」を思いつきで道連れにして、
あてのない逃避行に出た。
福岡から、九州を南へ、南へ、南へ。
頭の中と外、二つの世界と戦いながら繰り広げる
「ロードムービー×方言」小説。

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言葉の違いっていうことについてよく考えます。
「日本語」ってなんだろう、「日本語」って存在する
のかな、と。
今、大抵の日本人はある程度同じ語彙と文法を
共有していますけど、実は同じ単語に微妙に違う
理解をしているわけで、議論によってはその微妙な
違いが決定的な誤解を生んだりするわけで。

つまり存在しているのは「日本語」じゃなくて、「外山
弥生語」だったり「山田太郎語」だったり「鈴木花子
語」だったりなわけで。(すみません、専門的な用語
を誤用してると思いますが…)

私たちは誰一人として同じ言葉を話していない。
だから誤解が生じる…というより、そのことを忘れる
から誤解が生じる。

誰かと完全に理解しあうことはできない、けれど、
完全に理解しあうことはできないということを各自
理解することはできる。

まあ、誰でも考えることだと思うんですけど。

で、この誰でも考えることにひとつの痛快な答えを
出してくれるのがこの小説です。

主人公は、標準語もしゃべれるけど、自分の地元の
言葉が好きだから福岡の言葉でしゃべる女の子。

彼女と行動をともにする「なごやん」は、名古屋生ま
れの名古屋育ち、だけど名古屋嫌いの東京好きで、
絶対に東京弁でしかしゃべらない。

そんな二人が、「君、標準語でしゃべれないの?」
とか、「なごやんは名古屋弁使わんと?」とか、
それぞれ頑として自分の言葉でしゃべりながら、
それぞれ頑として自分の世界を守りながら、だけど
なぜだかずうっと一緒におんぼろ車で旅をする。

ラストシーンで「なごやん」が叫ぶ言葉は、そこだけ
読むとなんてことないシーンなのですけど、二人と
一緒に九州をずうっと南下したあとでは、なんだか
やたらと胸に響くのです。泣けるとか感動するとか
ではないのだけど、「あー、頑張って生きていかん
ばなんねーねー」と、心地良いため息が出るような
ラストシーンなのです。あ、新潟弁です。

ちょっとぐさっと来たのが、主人公が彼氏に振られる
シーン。彼は同じ福岡の出身だけど、主人公は地域
が違って言葉も微妙に違います。それは付き合って
いるときには問題にならないのですが、彼が電話で
主人公に別れを告げるときになって顕在化します。
彼が主人公を責めるのに使った単語が主人公の
住む地域にはない方言で、意味が分からない、それ
でも責められているということは分かるので、必死に
「そんなことないよ」と否定するのですが、あっさり
電話を切られて、その後着信拒否されておしまい。
結局、彼女の言葉は彼に届かず、彼の言葉も彼女
に伝わりきらず、イコール二人は理解しあえなかった
という象徴的なシーンだと思います。

改めて考えると、主人公の言葉が通じる相手はこの
小説に一人も出てこないのですね。で、一番言葉が
通じない「なごやん」と、「それどういう意味?」って
相手の言葉の意味を尋ねあいながら、「あー、言って
も伝わらないなー」ってもどかしく思いながら、相手を
理解できないながらも仲良くなっていくのです。

主人公と「なごやん」のように、周りの大切なひとたち
と仲良くなっていけたらいいなと、標準語でも新潟弁
でもなく、「外山弥生語」で思いました。おすすめ。

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