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自主映画や小劇場を中心に活動する俳優・外山弥生の記録です。
何がどうしてこうなった?
一人の女の子の一年間を撮りおろした、はずなのに
なぜかとっても非現実、なぜかとっても超現実。
絵本のような画集のような写真集。

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例えば、薄暗い宴会場の廊下を、黒猫の着ぐるみを
着た小さな子どもが走っている写真。

シュールです。
でも、シュールというほどシュールでもないです。

だって宴会場だし。
だって子どもだし。

晴れた草原を黒猫の着ぐるみ着たおじさんが歩いて
いる写真ほどシュールじゃない。

「ああ、親戚の宴会で、着ぐるみ着て余興でもした
かな?」と、日常のエピソードが思い浮かぶ、意外と
普通のスナップにだってなりうるはずです。

でも「未来ちゃん」は違います。

どこか異次元から着た、黒猫の耳としっぽが生えた
おかしな生き物のよう。背景の宴会場も妙に現実感
のない、異界の館のよう。

それどころか、おじいちゃんの肩に立って電灯の紐を
ひっぱっている、そんなよくある情景すら、それが
「未来ちゃん」であるだけで、おじいちゃんと女の子が
合体した奇妙な生き物に見えてきます。

エピソードがない。或いは、エピソードどころじゃない
壮大なストーリーがどこかにある、という雰囲気だけが
あるのです。

子どもが被写体の写真集というのは、「なつかしさ」を
喚起するものが多いと思います。自分にもこんな頃が
あったな、自分の子どもや孫にもこれくらいの頃が
あったな、そういう感じ。

でも「未来ちゃん」は違います。

見れば見るほど「未来ちゃん」という女の子は現実感を
失い、後ろに映りこんだ風景までが、歪んだ鏡に映った
世界のように奇妙な「ずれ」感を漂わせはじめます。
写真なのに、シュルレアリズムの絵を見ているみたい。
鼻水を盛大に垂らしている写真なんて、「これ絶対鼻水
じゃない!もうちょっとで鎌首持ち上げて勝手にしゃべり
だす!」って思いましたもの。

調べてみたら、もちろん「未来ちゃん」のモデルになった
女の子は実在するのですが(だって写真ですから!)、
だからといってドキュメンタリーではないそうです。
まず「未来ちゃん」という作品設定があり、モデルが
「未来ちゃんになったと思ったときに撮る」とのこと。
勝手に遊んでいるのを勝手に撮った写真もあれば、
写真家が色々指定して撮った写真もあるようです。

他の子どもが一緒に映っている写真は一気にスナップ
っぽくなるので、モデルの力も大きいのだと思います。
妙に意思を感じさせるくっきりとした目、老人のような
しかめつらやケモノのような怒り顔や国民的アイドルも
かくやと思うような華のある笑顔や。でも、川島小鳥が
撮らなければ、ただの「味わい深い」「ユーモラスな」
「可愛らしい」写真になっていただろうと思わせる何かが
あります。「『未来ちゃん』は作品なんです」という川島
小鳥自身の言葉がとてもぴったり来ます。

写真好きよりもむしろ、ルネ・マグリットや奈良美智が
好きな方におすすめしたい一冊です。

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